納豆の日

2003/07/10

7月10日は「納豆の日」なのだそうだ。一般的に認知されている日なのだろうか?「7(なな)」と「10(とう)」で「なっとう」、結構うまく出来ている。この調子で「野菜の日(8月31日)」とか「くしの日(9月4日)」とか語呂あわせのような記念日がたくさんあるようだ。そういえば「にゃんにゃんにゃん」で「ねこの日(2月22日)」などというのもある。ちなみに私の誕生日は「来(9)る福(29)」で「招き猫の日」だ。誰が決めるのか知らないが、あらゆる日が何かの記念日になってるみたいだ。


毎月あるモノもある。たとえば有名どころでは毎月23日の「ふみの日」。手紙を書くのが今も昔も好きな私は、結構デザイン的にかわいいことの多い「ふみの日切手」が好きでよく購入していた。手紙を書くときは封筒やカードにあわせて切手を選ぶのもひとつの楽しみなのだ。
そのほかにも毎月29日の「肉の日」。この日は近所のスーパーでお肉が安くなるので、嬉しく利用させてもらっている。こんなふうにこちらに利益のあがる記念日は大歓迎だ。


さて「納豆の日」。
その日スーパーに行って今日が納豆の日だと知った私は少し動揺した。納豆は普段でも価格がかなり安いが、なんとその日は「納豆の日セール本日限り」ということで、3個組のものが10円で売っていたのだ。我が家は夫が通常の関西人同様(?)納豆嫌いである。なので納豆が食卓にあがることは無い。しかし、10円という安さ、そして「今日は納豆の日」という特別な感じ、その両方でむしょうに納豆が食べたくなってしまったのだ。


実は私自身も以前は納豆が嫌いだった。臭いしネバネバしているし、見た目も美しくない。食べた後に口に残る臭いも嫌だった。学校の給食で小さなケースに入った納豆が出るとガックリしたものだ。教室中が納豆臭くなる。たまったもんじゃない。
ところが中学か高校の頃だっただろうか。当時私が大好きだった人が旅行から帰ってきた際に「あー、納豆が食べたい!」と口走ったのだ。ショックだった。まさか納豆が好きだとは。好きな人が好きなモノは自分も好きになろう、と当時の私は実に単純で、その日から私の納豆訓練は始まった。小粒の納豆やひき割り納豆に野沢菜などの菜っ葉系のものを山ほど入れたり、ほかのものと和えてみたりしてまずは慣らし、しだいに納豆の割合を増やしていき、最終的にはだし醤油とからしを入れただけのシンプルな納豆が食べられるようになったのだ。大学生の頃には自炊していたこともあり、安価で栄養価が高く保存もきく納豆は常備菜になっていたくらいだ。


さてそんなこんなで甘酸っぱい?思い出もある納豆。意を決して購入することにした。たかが10円の買い物を決心するのに、その売り場を何往復もしてしまった。しかも今回購入するのは普段はやや価格の高いほうに属する「金のつぶ納豆」だ。CMで見たことがあり、食べてみたいな美味しいのかな、とひそかに思っていたのだ。
ひとりで食べるお昼ごはん、お米をといで炊く。炊き上がるいい香りがしてくる。むらしている間に納豆を混ぜる。そうそう、こんな感じ、と久々の納豆を混ぜ混ぜする感触とじょじょに出てくる粘り気にしばし浸る。そしていざ食卓へ。納豆を味わうために、おみおつけはねぎとわかめでシンプルに。おかずもだしが大目の卵焼きとゆでた野菜でシンプルに。そして納豆をごはんにのせて一口。「あれ?」納豆ってこんなんだっけ?確かに粘ってる。豆の触感もある。でもなんだか味気ない。タレもからしも入れたのに。なんだか味気ない。


そして悟った。これは「におわなっとう」だったのだ。商品説明によると「納豆特有の気になるにおい(低級分岐脂肪酸)だけをおさえている」のだそうだ。多分私の中での納豆にはあのにおいが無くてはならないのだ。昔はそれが嫌いだったために納豆自体も嫌っていたあのにおい、あれが無いと美味しいと感じなくなっている自分に驚いた。よく彼氏のことなんかも「最初は嫌いだと思ってたのにいつのまにか好きになっちゃって」とか言うが、そんなものなのかもしれない。せっかく意を決して購入した超久々の納豆だったのに、何故か少しだけガッカリしてしまった。次回は、ごくフツウの納豆を買おう。そしてあの臭いも味わおう。しかし次回は来るのだろうか、来年の納豆の日に期待したい。